唯識(ゆいしき)からの~座禅

わんばんこ。かもめ食堂膝行族 ハラダです。 先週末は法事でした。小さい(最近?)ころの自分を思うと ウソのようですが、お坊さんの読経やお話がおもしろく感じます。 そのように感じるようになったきっかけは 2008年に、奈良薬師寺(法相宗)の大谷徹奘-テツジョウ-さんの 法話を 企業合同セミナーでたまたま聴いてからです。 話がいったりきたりしますが、ぼくが合気道に興味をもったのが2005年。 そのころすでに春風の前身、春清寺合気道のことは知っていました。 ただ、「お寺」の敷居が気高く感じられました。 結果として、2010年に春清寺の門をたたくことになるのですが、 感じていた敷居を下げてくれたのは、大谷徹奘さんによるものだと思います。 最近、その大谷さんの本を再読していた時に、 お葬式をしないで、説法・学問をする法相宗がよりどころにしている 仏教における心理学 『 唯 識 』 というものをはじめてしりました。 ユイシキ!?ナンジャラホイ、そりゃ。。。と、興味がわいたので、 唯識入門みたいな本を一読してみました。 その中から、座禅につながりそうなところを抜粋。 -- 念(ねん)・定(じょう)・慧(え) "いい・わるい" などの二元対立を抜け、 あるがままにモノを見る力を養う過程を3つに分けています。 念: 心の中にあるイメージにとらわれ、 それを消し去ることなく、持ち続ける力のこと。 定: 座禅を組んで、息が自分か、自分が息か、と思うほどに 集中し続けてみましょう。そこに二元対立がなくなった、 静まり返った心があらわれる、それが定。 慧: 定を経た上で、自己の思いや言葉が消え去った 「あるがままにある世界」が映し出される。それが、慧。 -- どうでしょう。 なんだか、調身・調息・調心のような感じもしませんか!? そして、なんとなく感じられる没頭感が、 ぼくが合気道に求めているものに近い気がします。 これからの季節、没頭しすぎて干からびちゃうのもキケンなので、 みなさま水分補給を忘れずにどうぞ。 もちろん麦水もです、ねぇ、はるまささん(^^)b