ご無沙汰しております

日常生活が漫画のようになってしまい、ダメージがでかすぎてやられ気味だった私もようやく身辺整理がつき、もうじき稽古にもちゃんと通えそうな若宮です。大人のための嘆きブログ「冬風ブログ」の登場を待ちたいくらいでしたが、ダーハラの絵が面白かったので救われました。お礼に、先日山に登ったときの記録文を載せたいと思います。長すぎて迷惑なだけでしょう。わっはっは。 槍ヶ岳登山記(日帰り)8/16  一年中もやもやした頭で弱気で無努力で甘ったれたことばかり考えている自分が、それでも時々妙に明るい力を身のうちに走らせることが出来るのは、どこから思いついたんだかよくわからないバカげた妄想や計画と、それに付き合わされる多くの善良な被害者友人たちのおかげだ。今回はかなり長いじめじめした期間を経て、反動たる大きなバカ計画を思い立ち、それに我が愛すべきバカ兄弟ハヤノをつきあわせるということになった。  今僕がつきあっている彼女は山が好きで、山が本気で好きすぎて、それが元でよくケンカになる。彼女は友だちと泊りがけでよく山に出かけて行き、僕はずっと誘われても断り続けてきた。出来上がった集団の中に入っていくのはそんなに得意ではないし、彼女を含めたその山仲間たちの話を聞いていると、なんだか本気すぎて、初めての人に対して親切でおおらかに接するよりは、こだわりが強すぎて他人にもそれを求めるような空気が垣間見えたからだった。あとは山に行ってしまうと当たり前のように音信不通になることとか、なんだかんだ気にかかることがあった。こちらの度量の小ささが問題なのだろうけど。まあとにかく、3日のうち2日くらいは別れる寸前になるのが最近で、どこまで続くのかよくわからん。そして、そういう山を含めたもやもやした霧を振り払いたくて、普通よりうんと険しい山に登ってやれと思った。  僕の死んだ父親は山が好きだったようだが、その親父の友だちは若いころにどこかの山で滑落して死んだ。だから、僕は山というのはなかなか危ないところだということは子どものころから聞かされて感じていることだった。  しかしながら、僕は山に対してと彼女に対して同時にムカついていたので、あとは、調べていたらなんか少し面白そうに思えてきたので普通よりはずっと強烈な登山をすることにした。 最近の登山ブームは数年前から依然として勢いが消えず、なんかカラフルな服装をしたお洒落な男女が、装備を整えてああだこうだ知ったかぶりながら登るというイメージがあった。そういうのが僕はあんまり好きじゃないので、どうせなら全然お洒落じゃなくて、貧乏だから道具も買わず、生半可な体力や気力では登れず、まあ死にはしない。というような登山をしようと思った。  自分の恋愛に対しての個人的な腹立ちや己の不服や主張がきちんと説得力のある形で言葉にならないことへの苛立ちが今回の登山への動機の50%を超えているので、元々は一人でやろうと思っていた。一人きりで、高くて険しい山に登ろうと思っていた。 しかし、そういう無謀な計画を立てているときによくあることなのだが、妄想しているうちに面白そうに思えてきて、それが強まりすぎて、ついつい計画を整える前に人に話してしまう。そして、今回も剣道でハヤノに会ったときに気がついたらハヤノを誘っていた。 ハヤノのいいところは、体力があるということと暇があるということと、あとは大体何を言っても笑っているということだった。こういう人間はそこらじゅうにいるようで意外といないのだ。  山については、インターネットで「百名山、難易度」みたいなのを見ていて、難しいほうから数えて一番のやつに登ってやれと思った。そうしたら、候補が剣岳と槍ヶ岳になった。そんでもって、山登りというのはコースが色々あって、「いくらなんでもこれは死ぬな」というコースはやめた。なにせ、山なんかほとんど登ったことの無い、暇とバカだけがとりえの二人で行くわけだから。結局、ハヤノを誘ったときのテンションやタイミングや滑舌で、槍ヶ岳に登ることになった。  槍ヶ岳、日本で5番目くらいに高い山で、とても急であぶないところも多い。よく人が死ぬ。しかしながら今回の計画の最もバカげたところはその行程が「日帰り」だったことだ。日常生活や恋愛事情で追い込まれた僕には1泊2日で日の出や星を眺めながらなどと悠長なことを言う登山は必要なく、過酷で、やり遂げたら自分の歴史に星がついて、「バカはすべてを凌駕する」というような間違った自信を手に入れることが出来るものがよかった。  というわけで日帰り槍ヶ岳計画、朝の3時ころから登って、目標ポイントを細かく設定して通過タイムを確認しながら進み(そうしないと日帰りで帰れない)、11時間くらいで下山できたらいいなと思っていた。計画に際して、インターネットで「日帰り・槍ヶ岳」とかで検索をかけ、出てきた二人のおじさんのブログを参考にした。しかしながら、この二人のうち一人はトライアスロンが趣味で、一年中結婚式と葬式以外は走るか泳ぐかチャリこぐような変質者だったのでタイムが速すぎた。なんと往復9時間。だから、もう一人のおっさんをベースに考えようと思った。この人は登山素人だったし、なんか勢いでいっちゃうところも好感が持てたから。 さらに、親父の友人で現役登山おじさんの人に電話をしてあれこれ聞いた。あとは職場の登山好きの人にもいくつか聞いた。  15日の水曜日の夜にハヤノが車で家に来て、ハヤノの車を置いて、うちの車で出かけた。松本まで高速で行き、そこから野麦街道だかなんとかいう道をずっと走っていった。ついたころには夜中になった。さらに不幸なことに、登山口から一番近い駐車場が工事中か何かで台数があまりとめられず、40分くらい歩かないといけない駐車場に停めた。 その道の駅でハヤノと少ししゃべってから眠った。ハヤノは本も読むし、考えることも面白いので運転中も話題には困らなかった。  僕の血液型はAだ。この血液型の人間の多くは几帳面らしいが、僕はそんなことはぜんぜんない。部屋もひどく散らかっているし、建設的で計画的なことなどほとんどない。 しかしながら、周りの人もわかるように、遊びに関しては少し細かい準備や努力をすることがある。僕は、興味のない仕事は必要以上に頑張らないが遊びは頑張るような人間だ。 とにかく、この登山は少し計画をたてた。なぜって、死んだら困るので。自分が死ぬのはまだいいが、ハヤノを無理矢理連れて行ってそのハヤノが死ぬという自体は避けなければならなかった。 というわけで、山登りの三種の神器というものを買いに行った。どうせ買うなら長く使えるものをいつも買おうとする金なし男の私は、今回はカッパと靴を買った。カッパが1万円、靴が8千円。リュックは小さいのがあるから買わなかった。  あとは、登りながら食うゼリーとか、リュックにかける防水スプレーとか。なんだかんだ金をつかった。 道具をそろえることよりも、死なないための計画は「大雨が降ったり何かしらの怪我をしたり、そういう非常の事態が訪れたときのことを考えておく」ということだった。  道具の話をもう少しすると、靴はアシックスのトレイルランニングシューズを買った。普通のスニーカーやランニングシューズとトレイルランニングシューズやトレッキングシューズの違いは、靴底の一つ一つの細かさにある。それが細かいから、下り坂でも滑らないという。靴の良し悪しは下りで発揮されるような気がする。買った靴はゴアテックスのやつで、防水だった。  このゴアテックスというのはどっかの会社の技術で、防水だけど内側の湿気は逃がしてむれないという快適なものだ。これがあると無いとでは値段が結構違う。そして、靴よりもカッパでその値段の違いが激しい。  普段の生活で「昨日カッパ買ったんだ。値段?上下で6万円だよ。」とか言うと間違いなくアホだと思われる。あるいはそうでなければ単なる金持ちだと思われるだろう。しかしゴアテックスのカッパはオシャレで丈夫なものだと平然とそのような値段になり、安いものでも上下で2万をくだることはない。貧乏な僕は、貧乏なくせにいいものを欲しがる習性があり、だから貧乏なのかも知れないがとにかくゴアテックスいいなあと思っていた。  いくつかのアウトドア用品店やインターネットなどで色々と調べても2万円以上することに変化はなく、仕方がないから持っているウインドブレーカーに防水スプレーでどうにかしようかと思い、濡れて重くなるのはいやだからスプレーくらいはいいものを買おうと、1500円もする防水スプレーを買った。  それで、帰ろうかと思ったが、南大沢のアウトレットの店員が「ゴアテックスのカッパ、9800円です。」と電話口で言っていたのを思い出した。どうせよくわかっていないお姉ちゃんが勘違いで言っているだけだろうという気がしたけど念のため行って見た。 行ったら本当にゴアテックスだったし本当に9800円だったのでびっくりした。安さの理由は商品に「ゴアテックス」という記載がないのと、ノースフェイスの店だけどゴールドウィンの表記しかない商品だったからで、まあとにかくこれはめっけものだったので即買った。  あまりにも得な話だと思ったのでfacebookに書いたが、たぶん誰もピンと来なかっただろう。  とにかく、何が言いたいかといえば、僕はこのようにして「おしゃれな登山や道具をそろえなければならない登山がむかつく」などと言いながら、山の険しさや自然の厳しさにびびってあれこれ買い物をした。それに対して一緒に登ったハヤノは全く何も買わなかった。靴は前に西友で買った2000円のトレッキングシューズ、カッパは釣り用のシマノのやつ。リュックサックに関してはなぜかナイフメーカーのヴィクトリノックスのやつだった。というわけでこのハヤノ、最後まで装備に1円もかけないという姿勢を貫き、最近の登山ブームの金かけなきゃ路線に対して我が身をもって強烈なびんたを食らわせた。かっこいい。のか?  ゴリラの腕力は人間の何倍か知っているだろうか? 僕は知らない。だけど、チンパンジーでさえ人間の数十倍以上の腕力があった気がする。だからゴリラはもっと強いはずだ。そして、ゴリラというのは葉っぱばかり食べている。筋肉増強のためにプロテインを飲んだりしている人を見ると、なんかゴリラに負けているじゃないかと思ってしまう。僕の根底にはこういうわけのわからない強引過ぎる哲学があり、この無謀計画シリーズは今後も続くわけだが、地球に負けるな、自然に負けるな(自然をなめてかかるわけじゃない)、ゴリラに負けるな、鳥に負けるな。魚に負けるな、虫を越えろ、という考えとやっていくので、道具がどうとかおしゃれがどうとかは極力無視していこうと思う。 もし僕がオシャレな格好をしようとしたり道具に必要以上の金をかけそうになったり何かしらの間違った方に進みそうになった場合には、ハヤノが「おいたすく、ゴリラに負けるなとか言ってたのはどうなったんだよ。」と制止することになっている。そのためのハヤノなのだ。  いいかげん山に登った部分を話そう。先にも述べたように、僕らは新穂高温泉という駅のそばの登山道入り口から登ったのだけど、そこの最寄の駐車場が工事中だかなんかで台数があまり停められず、仕方がないからかなり離れたところに停めた。そこでその真っ暗な道の駅の駐車場に停めた車の中で1時間か2時間くらいだけ仮眠をとった。本当に真っ暗で、道の駅のくせして全然何も売ってないし、夜中だからだろうけども、静まり返って誰の気配もなかった。暗すぎて立小便をするにも困るくらいだった。  眠る段になって、ハヤノとどこかに泊りがけででかけることなどほとんどないのであれこれ話したい気もしたが、数時間後に控えた未経験で未知の過酷な登山を考えると寝ないわけにいかなかったので眠った。 東京からここまで来る車の道中で、ハヤノが好きな作家の中島敦作品のうち、短くてすぐ読めるのであらかじめ読んでくるように言われていた二つについてあれこれ議論をした。ハヤノも僕も生まれてこの方今風でオシャレな人というものとは対極に位置して生きてきたので、そういうイケテナイ昭和全開なわれわれには1970年代の学生のように文学だとか音楽だとかシモネタだとかについてあれこれ議論することがよくある。そんなことをする相手は僕にとってほとんどハヤノか小林くんくらいのものだが。  眠りから覚めて二人で準備をして出かけたのは午前二時くらいだったか二時半だったか。真っ暗な中で着替えたり荷物を整えたりして、熊よけの鈴を鳴らしながら登山道入り口まで歩いていった。 登山道入り口に着くまでに一時間くらい歩いたろうか。当初の予定である3時に登山開始は出来ず、ストレッチをして登り始めたのは3時半くらいだった。僕らが目標タイムの設定に使ったブログを書いたトライアスロンのおじさんが登り始めたのが3時半だったのでもっとのろまな僕らはそれより早い時間に登り始めたかったのだが、ちょっと遅くなってしまった。  入り口でもたもたしていたところ、ひょろっとしてメガネをかけた登山スタイルのおっさんがやってきた。まさかこのような早い時間に他の登山客と会うと思わなかったので、ちょっと残念だった。誰もいない静まり返った夜の山を堪能したかった。まあ仕方が無い。結局歩き続けたらこのおっさん以外にも数人の登山客にあった。まだ暗いうちに。  槍ヶ岳は人気のある山だし、夏は混む。このメガネひょろりおっさん、僕がおはようございますというと、おはようと答えてすぐにこちらの靴や格好を観察し「トレランですか?」と聞いた。僕らは早くもゴリラ教としての生き様をこの、格好だけで人を判断する知ったかぶりのばか者に「オレたちはゴリラを超えるんだよこの野郎」と言って示すことも出来たが、朝の3時半からけんかを始めても仕方がないし、そんなこといきなり言われてもまったく理解不能なこのおじさんとはけんかにすらならないだろうからやめて、適当な返事と愛想笑いでやり過ごした。  歩き始めてすぐに、ハヤノは後からついてくることを選んだ。僕とハヤノはどちらも素人で経験や技術的な差など全くなかったが、単に僕が言いだしっぺで息巻いていて、ハヤノはマラソンなんかも前半一気に飛ばすタイプではないらしかったからだ。あとは熊よけの鈴を僕しか持ってなかったこともある。 僕の方がハヤノより年をとっているし、僕は人生全体について全般的に根性なしなので先に飛ばしておくほうがいいと思っていた。それで、最初はハヤノをどんどんひっぱっていくように歩いた。ハヤノも「たすくについてゆくよ」と言ったので、前を歩くのは交替しながらの方がいいのかとか事前に気にしていたのがその必要がなくなり、のびのびと前を歩くことにした。  最初のうち、メガネひょろり丸も僕らと同じくらいのペースで歩いていた。僕はとっとと抜いて置き去りにしたくなり、一度抜いたが、さすがに経験で勝るひょろり丸、一時間くらい過ぎたところで抜き返されて、その後はほとんど会わなかった。  真っ暗闇の中を登り始めた我々は、頭にヘッドライトをつけていた。これがないと本当に真っ暗でどうにもならない。ちなみにこのヘッドライトも買うとけっこうする。いいのだと5千円を越える。僕はたまたま職場のジェイという仕事仲間が持っていたので貸してもらった。とても助かった。 夜がだんだんあけてヘッドライトの必要がなくなりかけてきたころ、最初の休憩をした。小さな沢のあるとこで、川原みたいになっていた。ハヤノはそこでおにぎりを二つくらい食べていた。僕もゼリーを食べた。  僕らには二つの目標があった。一つは怪我をしないで安全に山頂までたどり着くこと。そしてもう一つは、必ず今日中に下山すること。そう、僕らは最初から日帰りの予定なので、宿泊した際に必要になるものなど一切持っていなかった。リュックサックも25リットルくらいの日常生活で使うやつだし、テントも寝袋もガスコンロも夕食や朝食も、何もなかった。つまり、なんとしてでも今日中に下山しなければならなかった。我々無謀クラブは、グローバリゼーションに問題意識を投げかけながら戦う庶民派節約非正規雇用貧乏集団なので、山小屋に5千円も出す余裕はないのだ。  さて、沢でおにぎりやゼリーを食べていたときにひょろり丸に抜かれていった僕ら、まだまだ全行程の何分の一も来ていなかった。標高にして言えば、山頂が3180mなのだけどこの時点では1500mを少し越えたくらい。なので、出来るだけ休憩を早めに切り上げてどんどん進む必要があった。なにせ普通の人は2泊3日で行くところを日帰りするというプランなのだから。  ハヤノの顔に少しずつ大変さがにじみ出てきたが、僕は仲のよい友人としてそれを気持ちよく無視し、さっさと支度をさせて先を急いだ。 槍ヶ岳には山小屋が二つある。山頂のすぐ近くにある槍ヶ岳山荘と、標高2000メートルくらいにある槍平小屋だ。槍平小屋に着いてハヤノを待っていたときに、小屋の中で売っていたチップスターを食べた。町で買う値段の倍額したけど異状にうまかった。準備の悪い僕はなんだかんだ結局ゼリーと飴しか食べ物を持ってきていなかった。ゼリーだけはたくさんあったので飢えることはないのだが、やっぱり固形のものを食わないと食った気がしないことを知った。20分くらい待ったところでハヤノが来たので、しばらく休んでからまた登り始めた。山小屋のあるところにはテントを張れる場所もあり、たくさんの人がキャンプをしていた。面白そうだったし、テントを張るのにもお金がかかるとはいえ小屋よりかなり安い。将来的にはテントが必要だなぁとか誰かくれないかなとかぼんやり考えていた。  この小屋を出てから次のポイントまで行くところの道が全行程の中でもトップクラスにきつかった。傾斜がきついし視界は開けてないし、少し歩いただけですぐに息が上がり、心臓の鼓動が倍速になる。僕もハヤノも剣道でそれなりに心肺機能に負荷をかけることをしてきていたが、本当にこれはつらい。剣道で一番過酷なかかり稽古という練習にも匹敵するきつさで、しかも終わりがまったく見えないという絶望しかねない時間だった。しかしながら僕らには登る以外に選択肢がない。僕は途中から「くそー」とか「このクソ山」とか「クソ槍ヶ岳」などと山に対して暴言を吐き続けながら歩を進めた。ものすごくきついけど、けっこう面白かった。  この猛烈にハードな区間を終えたころ、ハヤノの闘争心は完全に尽きて、群れを離れてサバンナで静かに余生を送る年老いたヌーのような顔になっていた。このポイントでハヤノを待った時間が全体で一番長く、50分くらい待っていた。普通の登山で誰かと山に登る場合にはその仲間を置いてどんどん進むことはあまりないと思う。僕が見た限り、せいぜい数メートル離れて歩いていく団体ばかりだった。しかし僕らはもはや完全に別働隊くらいに間隔があいていた。ハヤノを待ちながら、通り過ぎていく登山客と挨拶や少しの会話をかわし、汗でびしょぬれになったシャツが冷えて寒くなったので上に服を着たりして、ハヤノの様子を見に一度戻ろうかと考えていた。  僕とハヤノは大学時代の剣道同好会で知り合った仲間だが、大学に入る寸前まで僕はかなりの回数の練習を日常的にしていたのでこの同好会でもあまり体力負けする相手はいなかった。そんな入って間もない頃に稽古が終わって着替えていたらこの、メガネをかけた地味な練馬区民の背中の筋肉が異状に発達していたので「こいつ何者だ?」と思ったのを覚えている。  同好会とはいえそれなりにきつい練習を何年も一緒にしてきた仲間なので、少々のきつさに対しては「あいつなら別に平気だろう」と疑いの無い放置をする。激しくタイトな練習時間を共にした経験があり、スポーツに関する全般的な辛抱強さや頑丈さや精神的な前向きさに関して、僕はハヤノを自分と同等かそれ以上に考えてきた。 というわけで、結局様子を見に戻りはせずにひたすら座ってハヤノを待った。足を滑らせて落っこちたとかそういう事態を考えもしたが、「あわてないでマイペースで来いよ」という僕に対して「ああ、そうするわ。」と言っていたこの男の、無理しないけど楽もしすぎないちょうどいい感性を信じて待った。そうしたら、藪の中からへとへとになって現れた。  ここから頂上に近い方の山小屋までが1時間くらいだったので、そこまで一気に行こうぜと話して出発した。霧が出てきて、小雨が降ったりやんだりした。すでに森林限界を超えていた。森林限界というのは標高2500メートルくらいになると、高い木が生えることができなくなる。だから視界が開けて、町の中の生活では決して見ることの出来ない景色が当たり前になる。ここからが面白い。天気がよければなおさら。  山頂そばの山小屋までもう少しというところで、一人の男が話しかけてきた。なんだか知り合いのような親しさで、「さっき会いましたね」というようなことを言う。僕はいまいちよくわからなかったのだが、ここまで来る途中に挨拶以上の会話した相手ですでに下山してくる相手なんか登りはじめに出会ったひょろり丸くらいだから、やっぱりひょろり丸だった。ひょろり丸はハヤノが後ろを歩いていることを知っていたので「彼は高山病じゃないの?」みたいなことを言った。高山病にかかるかどうかは人それぞれで、標高も特に決まっていない。だけどハヤノは日常的に週4回か5回かなりの運動をしているし、今日会ったばかりの人間にハヤノという男の底知れぬバカさをあなどって欲しくなかった。しかし、僕もハヤノが少し心配だったのと、ここまで来たことでの疲れやあとはひょろり丸のなんか知ったかぶった態度がむかつきつつも一理あるような気がして、「いや、あいつは運動もしてるし、バカだし変態だから平気ですよ」と言ったが「高山病は体力と関係ない」みたいなことを言い、もう相手にするのが面倒くさいから、まあ様子見ながら行きますよ。みたいなことを言って別れた。  今になって思うが、あいつはいったい何がしたかったのだろう。心配して何かをしてくれるわけでもない。もちろん心配してくれるのはありがたいことだが、結局のところ素人に対してどうのこうの言いたいだけなんじゃないかと思ってしまう。やはり我々ゴリラの弟子たちは、もっともっと激しい修行や勉強を日常から己に課し、早い段階でのひょろり越えを果たさなければなるまい。  山登りに色々なルートがあるように、山にあこがれたり登ってみたいと思う気持ちやその取り組みにも自由があっていいはずだ。経験をなめるなとか怪我や遭難をもっと心配しろと言いたいかも知れないが、遭難者の7割は60代以上の高齢者だ。彼らが経験に頼り過ぎて体力が足りないのを甘く見たということの方があるんじゃないかとも思う。 何かを愛しているのならば、あとからそれを知ろうとする者たちに対してむしろ自分が何かを学ぼうとするのが本来あるべき姿ではないかと僕はそう思う。自分への警鐘としてもそう思っていたい。なにせ僕の中学時代のあだ名は「知ったかぶり」だから。ひょろり丸どころではない本当のバカ者になる可能性は大いにある。  槍ヶ岳山荘の前にあった木製の机と椅子に腰掛けて、霧でまったく見えない崖の下を見たり見なかったりしてハヤノを待ちながら、これまでにかかった時間と、帰りの時間やハヤノの状況などあれこれ考えていた。しかし、一番考えたのは腹が減ったということだった。なにか食べたい。ゼリー以外のものが。  30分後くらいに来たハヤノの顔を見て、ちょっと長めの休憩を取ることを決めた。ハヤノはこの時点で膝がかなり笑っていた。止まっていると寒いので、山小屋の中に入って飯を食うことにした。席が開くのを待つのがしんどいくらい、僕もハヤノもかなりくたびれいてた。山の上なので特に何も変化がないごく普通のラーメンでも1杯千円した。しかしうまかった。やけにうまかった。ラーメン食ってからも少しゆっくりして、だけど帰らなければなので山頂に登ることにした。槍ヶ岳はその名前のとおり山頂がとんがっている。はしごや鎖につかまって登らないと頂上には行けず、頂上は畳10枚分くらいしかないくらい狭い。  この鎖場(くさりば)のことを色々イメージして、危険な山だから気をつけようと思ってきたわけだが、実際に来てみて思ったのは鎖場より何よりここまで来るのがヘビー級にきついよということだった。 目前にある頂上に対してのはしごや鎖は楽しかった。もちろん危険もあるので慎重に登ったが、けっこう面白い。町に帰ってからまたボルダリングをやりたいなと少し思った。1回しかやったことないけど、あの壁のぼりはけっこう楽しいし役に立つ気がする。  お盆だし土日だからメチャクチャ混むと言われていたが、はしごも鎖もほとんど待たずに登れるくらいの人数だった。霧が深くて景色がイマイチだったが、疲れもふっとぶ充実感だった。本当に、いやなことはすべて忘れるような爽快な気持ちになれた。帰るのだけは面倒くさかったが。  荷物は極力軽くしておいた方がいいぜと言っておいたがそれでも一眼レフを持ってきたハヤノは、霧の晴れ間にパチパチと写真を撮っていた。ハヤノが写真を撮り終えてから、僕らは一度また山小屋の前の机のところで座り、ハヤノに膝のサポーターを貸したりして準備を整え下山し始めた。  元々の予定では11時間以内に全行程を終えるというのが目標だったが、この時点でそれはやめにした。安全第一で、怪我なく下山できればそれでいいという風に思い直した。登りはすべて僕が先に歩いてきたが、くだりはハヤノを前に行かせ僕がそのすぐ後ろをついていった。  山頂付近の山小屋のそばにもテントを張れるようなところがあった。「ここにテント張ったカップルは中でセックスしたりすんのかな?」とハヤノに聞くと「俺も同じことを考えていたわ。」とハヤノが答えた。類は友を呼ぶとはこのこと、我々がどうしようもないバカ者ということは3000m以上の高いところに来たことでもまったく揺るがないことだった。この過酷な登山も我々の煩悩を消し去ることは出来ず、我々は「バカは全てを凌駕する」という強い自信を、完全に間違った方向で手に入れたのだった。 「じゃあここで種付けされて出来た子どもの名前は何になるんだろうな?」という話になり、「槍男(やりお)」とか「三千男(みちお)」とかじゃねえかと話していた。 バカ話は人をやさしく包み込む。かどうかは知らないが、疲労困憊した二人の愚か者を暗い気持ちにさせない力があった。そのあともシモネタや正直すぎるバカ話に精を出しながらてくてく下山を続けた。  ハヤノは山用ではない簡易的なリュックサックを使っていた。僕のもそうだったが、僕のはいちおうノースフェイスのやつだったのでおまけていどに色々便利なものがついていた。対してハヤノのものは胸のまえでパチンと止めるやつすらついていなかったので、リュックサックがいつも固定されていない状態だった。そういう小さなことが長時間の歩行では大きな疲労につながる。僕は途中でそれに気がついたのでハヤノのリュックサックの背負い紐の前の部分をタオルで結んだ。その作業をするためには二つのおっぱいを寄せるような動作になるため、「おいハヤノもっと寄せパイにしねえとタオルが結べねえだろ。」などと話しながらやっていたのだが、あまりにきつくしめすぎたためハヤノが「たすく、ちょっと寄せすぎで逆にしんどいから少しゆるめてくれよ」などということもあった。  ザイルではなくても何かしらの紐を持っていると、冒険中には重宝するなと思った。そういえば僕の兄はいつも紐を持ち歩いている男だったのを思い出した。  僕もハヤノも、行きのテンションと帰りのテンションにはかなり差があるということが、帰り道に感じる時間の長さでわかった。行きはこんなに長く感じなかった道がやけに長い。遠い。進まない。下の方の山小屋である槍平小屋に着くくらいまではよかったが、そこからが本当に長かった。無限に出てくるように思っていたシモネタやバカ話にも勢いが消えて、一歩一歩怪我をしないように歩くのが精一杯のようになった。 ハヤノはかなりバテて、靴やリュックサックのせいもあるけど膝がもう生まれたての小鹿みたいにへろへろだったので僕はハヤノのリュックサックも持ってやった。日帰りのよさは荷物の少なさにあるので、二つリュックサックを持ったところでどうということはなかった。下り途中の早い段階で棒を一本拾ってハヤノの杖にしたが、大して頑丈な棒ではなかったためどんどん折れて短くなり、最終的にはそんなものつかったら逆に疲れるような長さになってしまったのでハヤノに言って捨てさせた。  一番最初におにぎりを食べたあたりまでくだってきたころ、段々に日が暮れていった。そこから先は視界を遮るものが多く、僕らはひたすら足元を見つめて、夢のある登山とは程遠い、過酷な修行か無理やりさせられる行進みたいになっていた。登山道の入り口になかなかたどり着かないので、本当にこの道であっているのかどんどん不安になってきた。あたりはかなり暗くなり、ライトが必要になる時間も近づいていた。「なあ、この道であってんのか?」という台詞をお互いに言おうとした直前くらいに、ようやく記憶にある広い道に出た。お互いに胸をなでおろし、一人じゃなくてよかったと思った。たとえ相手が自分と同じバカ軍団の、テキトーさも自分と同等でお互いに全く頼れないアホだとしても。  そこから先、携帯の電波も入るようになり、町へ帰ってきたような安心が次第に広がっていった。広がっていったのは事実なのだが、着きそうで着かない状態が延々と続いたのも事実だった。自転車でもあればいいのにと思った。  ようやく新穂高温泉の駅付近につき、足がいかれているハヤノをそこで待たせて僕は手ぶらで駐車場まで1時間以上の道を歩いていった。格好つけてハヤノにお前はここで待っていろなどと言ったのはよかったが、この道がまた長かった。もはや山ではないのに街灯がほとんどなくて真っ暗。ハヤノがそばにいなくなったことで気づいた自分の疲労も次第にふくらみ、なんだか色々なことに腹がたってくるくらい嫌な道だった。なんで、近いほうの駐車場が満車なんだよみたいなことが、行きよりこの帰りの方が強く不満に思えた。まあ、自分の体力がないだけなんだけど。  決してゆっくり歩いたつもりはないのだがこの道では時間をくった。心配になったハヤノが電話をかけてきた頃、ようやく車にたどり着いた。そこからハヤノのところまで運転して、二人でどこでもいいからあいてる温泉に入りに行った。帰り道の一番最初にあった温泉、なんとかまだ入れるというのでそこに入った。なぜか大量に置かれたうまい棒が2本まで無料という奇妙な温泉だった。もちろん僕は5本くらい食べた。牛乳も買って飲んだから許してくれよ。  温泉を出て、帰れるところまで帰って、眠くなったらパーキングで寝ようという話になった。翌日をフリーにしておいたのは正解だった。厳密にそれは日帰りと呼べないのかも知れないが、まあよしとしよう。駐車場までを入れたら17時間以上も歩いたわけだから。  運転していてあまりに眠くなり、ハヤノに「このままだと本当に寝て死ぬから、なんでもいいので目の覚める話をしてくれ」というようなことを言った。そんなこと言われたってこんなにくたびれきった状態で目の覚める話なんざ出来るわけもなく、ハヤノにはずいぶんひどい注文をしたものだった。なんとかサービスエリアまで持たせて、そこでぐうぐうねた。今度眠すぎる運転中は、猪木の闘魂注入みたいにびんたをしてもらえばいいなと思った。  全体的には非常に面白い登山だった。間違った自信をつけた面もあるが、日本の山や森林の美しさと、それを守っていきたいという気持ちが湧いた。国土の7割が森林というこの国に暮らしながら、目を閉じて想像する景色は9割以上が町の景色。自分の持つ世界をもっと多彩なものにしようという気持ちの芽生えた一日だった。下山後にはこの登山よりもずっと過酷な個人的現実が待ち受けていたが、それでもまた山に登ることになった。ありがとうハヤノ。安らかに眠ってくれ。