「感 思 考」と脳科学的な学び方

おはようございます。かもめ食堂膝行族 ハラダです。快晴ですね。冬の晴れは大好物です。 さて、前回の投稿で中村天風氏の「哲人哲語」から "残心" を引用させていただきました。昭和32年に発刊された書籍かつ天風氏のエッセイなので言葉づかいが難しく、合間合間にパラパラめくって自分になじませています。 パラパラめくるだけでも、興味深い言葉がでてきます。 たとえば、「感・思・考」。 天風氏は否定的な気持ちを持たないことの大切さを述べることが多いです。 それをまとめたもの(だと思うのですが)が「感・思・考」。 -- P.185 「哲人哲語」 著:中村天風 出版:公益財団法人天風会 (昭和32年)
感じても、 思わねば、 考えない。
-- 嫌なことがあって、 それについてなんらかの感情を抱いても、 思うことをなくせば、考え進むこともない。 ということですよね。 逆に言うと、 好んで考えたいことがあれば、 感情(感性)を大切にし、 思い(想い)をいだけば、 考えを進めることができる。 ということだと感じました。 自分自身の考えの進め方を振り返ってみても、 感じることと、 何回か反芻して思い考えること が多い気がします。 また脳科学者(脳薬学)、池谷裕二さんの 「脳はなにかと言い訳をする」にもこのような記述がありました。 P.113 「脳はなにかと言い訳をする」 著書:池谷裕二 出版:新潮社 (平成22年)
なんだかややこしい話ですが、要するに、学習が速いと、見かけ上の情報だけに流されてしまって、「あ(注:覚える事柄をたまたま"あ"としているだけ)」の"本質"に近づけないということです。せっかく記憶しても、それは融通のきかない断片的な知識にすぎません。これを「過剰適合」、あるいは「過剰学習」と呼びます。
 こうして眺めると、見えているもの、感知したものをより一般化して、うわべの情報に惑わされないようにすることが、学習において重要であることがわかります。そのために必要なプロセスが「学習を遅くする」ということなのです。ゆっくりと覚えることによって、ものごとの表面下を共通して流れる根本的なルールに気づくことができるわけです。
-- よく見て、やってみて、感じること。 そして考えてみること。 言ってしまえば当たり前ですが、 やっぱり大切ですね。 と、むりくり今年の読書テーマ、 「インド」と「脳」をつなげてみたのでした(笑)